『アイアイ傘』 D15Bさま投稿
大学の授業を終えた聖が帰り支度をしていると、突然窓の外からバタバタと激しい音が響き始めた。
「うわ、やばいな……」
ガラスを叩く雨粒がそのまま転がるさまを見ながら聖はため息をつく。
面倒臭がりというか、聖は朝出かけるとき雨が降っていなくても天気予報を聞いて
折り畳み傘を準備する、とかそのような計画的な行動を心がけるつもりはない。
つまり、当然傘など持ってないわけだ。
多少の雨はあまり気にしないのだが、さすがにこの雨では下着までびしょぬれになりそうなので
そのまましばらく雨が止むのを待つことにした。しかしかなり長い間粘ったものの、一向に止む気配がない。
「ついていない時はこんなもんかな……」
折悪く聖はゼミの講義内容について数点教授に質問があったため、居残って教授に話を聞いていたのだ。
そのため他の学生はすでにみな帰ってしまっていた。用意のいい景は傘を持っていたはずだ。
残っていれば傘に入れてもらったのにとひそかに臍を咬む。
うんざりしながらもやむなくいったん教室を出ると、通用口の辺りまで出てみる。
空を見上げてみると、雨雲は黒くて分厚く、とてもすぐに雨が止みそうな気配はない。
「さて…どうしたものか…」
聖は少し悩む。
肩から提げたカバンを雨よけにして走っていこうかとも思ったが、バス停まで行くにはちと遠い。
そんな申し訳程度の雨よけでは、いずれずぶ濡れになることは目に見えている。
動くに動けずしばらくぶらぶらしていると、ふと聖の目に映ったのは、こちらに向かってくる青い傘だった。
遠くに見えたその影は、ゆっくりと、まるで雨の中を漂う様に近づいて来た。
「あ……」
傘の奥からのぞくその姿、誰が見間違えようか。
求めて止まないいとおしい姿、その影がだんだんこちらに近づいてくる。
左右に揺れる青い傘、その動きはリズミカルでどこか楽しげだ。
間近に近づいた青い傘。聖の目前でふとその青い傘の動きが止まる。
ふわりと傘が持ち上がると、その下から栗色のツインテールと可愛らしい笑顔が覗いた。
「………」
「………」
傘の下から無言で微笑みかける祐巳に、聖は少しばつが悪そうにこちらも無言で笑顔を返す。
「……お困りですか?」
「……うん、かなり……」
「………」
「………」
じっと祐巳の次の言葉を待つ聖。こちらから入れてくれと頼むのは少し照れくさいのだ。
そんな聖を優しく見つめながら、祐巳は次の言葉を掛けた。
「じゃあ、助けてあげましょうか」
「悪い、サンキュ!」
言うなり聖は、軒下を飛び出て思い切って祐巳の傘の下に飛び込んだ。
軽く両肩にかかった露を払うと、祐巳から傘の柄を奪い取る。
「いやあ、本当に助かるよ。じゃあ、行こうか」
「はい」
まだ止みそうにない雨の中、二人は並んで仲良く歩き始めた。
人影もまばらなキャンパスを歩きながら、聖はふと思いついた疑問を口にした。
「それにしても、よく私がここにいるって分かったね」
「ええ、加東さんから聞きましたから」
「景が……?」
聖は先に帰ったはずの景の姿を思い出す。どこで二人は出会ったのだろうか。
「加東さんとはたまたまバス停でお会いしたんですけど、その時急に雨が強くなってきたから
ひょっとして聖さまが降り込められてるかもしれないねっておっしゃったもので……」
「ふうん……」
「加東さん、聖さまはまだ教室にいるはずだからって。ですから私、傘に聖さまを入れてあげようと思って戻ってきたんですよ」
「そっか、景さん私に気を使ってくれたんだね」
友人の気遣いに、聖は改めて感謝した。
「それにしても、こんなに降るとは思わなかったよ。よく祐巳は傘を持ってきていたね」
「ええ、本当はどうしようか迷ってたんですけど、やっぱり持っていったほうがいいかなって思って……」
「祐巳は感がいいんだね」
「というか、聖さまが無頓着すぎるんですよ。もう少し気を使わないと。私が来なかったらどうするつもりだったんですか」
「その時は諦めて濡れて帰るさ。そんなにたいした距離を歩くわけじゃなし」
「それが無頓着だっていうんですよ――――」
そんな風に会話をしながら二人が校門をくぐった時、ふと聖のほうを見上げた祐巳は
聖の自分と反対側の肩が激しく濡れていることに気がついた。
「せ、聖さま! 肩がびしょぬれじゃないですか!」
祐巳は慌てて懐からハンカチを取り出すと、聖の濡れた肩をごしごしと拭いた。
「あー、これくらいたいしたことないよ、気にしなくていい」
肩を拭いてもらいながら聖は微笑む。きっと聖は祐巳を濡らさないようにそちらのほうに傘を差しかけていたので
傘から垂れた水滴で自分の肩を濡らすことになってしまったに違いない。お気に入りの青い傘
小さい頃に祖父に買ってもらったその傘は、二人で入るには少し小さかったようだ。祐巳は申し訳なく思った。
「すみません、私のために体を濡らしてしまって……」
「何言ってるのさ、そもそも傘に入れてもらってるのは私じゃないか。ずぶ濡れにならないだけマシってもんだよ」
小さな傘の下で、半ば抱きつくようにしてようやく聖の肩を拭き終わると、祐巳は聖の顔を見上げた。
「聖さま、私が傘を持ちます」
突然の祐巳の言葉に聖はきょとんとしたが、やがて少し呆れたような声で返事をした。
「いいよ別に……」
「だって、これは私の傘なんですから」
祐巳が急に傘を持つなんて言い出したのは聖を濡らしたくないからだということはすぐ分かった。
気持ちは分かるが聖だって祐巳を濡らそうという気は毛頭ない。聖は苦笑しながら祐巳に優しく話しかける。
「いや、いいってば。大体こっちが入れてもらってる身で傘を持たせるなんて最低じゃん」
「だって……」
その後、どちらからも言葉が出ず、しばらく二人の間に沈黙が漂った。
日が沈みかけ、いつの間にかあたりは少し暗くなってきている。そんな中、二人は歩道に立ったままだ。
「やっぱり聖さまが傘を持ってるのって変ですよ!」
祐巳は口を開くと強く言った。
「なんで?? 入れてもらってるのは私だし、背の低い祐巳が持つほうが変じゃない?」
それ以上言葉が進まずまたしばらくの沈黙。動くに動けず二人は立ち尽くしている。そんなとき。
祐巳は唐突に聖の濡れた片腕にしがみ付いた。
さすがに聖も驚いて、思わず「何?」と聞いた。無言で祐巳は両手をぎゅっと聖の片腕に巻きつけると
体を聖に密着させる。そして、自分の指先を聖の指先に絡めた。
「こうすれば、二人とも濡れずにすみますよ」
体を重ねて面積を小さくすれば、小さな傘でも濡れないということらしい。
祐巳の思い切った行動に少し驚きながらも、聖はその腕から伝わる感触に愛おしさを強く感じていた。
「なるほどね、じゃあ行こうか」
「はい!」
腕を組んだまま二人は再び歩き出す。腕から伝わる感触と温度が聖にはたまらなく心地よい。
「手……繋ぎたかったんだ?」
「……はい」
恥ずかしげに祐巳は呟く。ようやくバス停が目の前に見えてきたとき、聖は明るく言った。
「今日さ、少し寄り道していこうか」
「え?」
「もう少し……このまま相合傘で帰りたいかなって」
「はい!」
祐巳は、力強く答えた。
―終―